3.私の苦斗時代を読んで
松本六郎氏の表情、考え方、その周囲は前文で大略説明が出来たと思う。
次に問題になるものは、この人の人生体験であろう。ご承知の人もあろうが、この人は余り多くを語らな
い。自慢話をすることを好まない風だ。「自己を語る」というのは、人によっては照れる事柄でもあるら
しい。 ある人がこう云った。「自叙伝」というものは、その人の死後に発表されて然るべきものだ。
「奴、いい気になっているね」と、人の失笑を買うというのだ。又、ある人は「今のところうまく行って
いるが、これからどうなるか知れたものでない。現代ぐらい経済社会が混屯というか、流動的な時代はな
い。明日のことを思うと、自叙伝などお恥しい」というのだ。
又、こういう人もいる。「自分は若いとき隋分苦労して、今日の地盤を築いた。しかしその労苦を話して
も、その価値を知ってくれる人は少い。現代の世相に、昔の話は通用しないのじゃないか」というのである。
僕はこの点で異議がある。成功者の体験談は何物にも換え難い宝だという点だ。この宝はその人、個人の
ものに違いないが、世に公開して然るべきだ。西郷隆盛は「児孫のために美田を買わず」と云ったが、遺産
は残してやるべきだ。遺産でも金銀、珠玉、邸宅等種々あるが、これ等こそ流動的なもので価値は少ない。
最も不滅にして高貴な遺産はその人の事業、その人の事業に残した映像だと思うが如何?
その映像の核をなすものは、その人の人生体験に外ならない。時代がどう変ろうと、人の心がどう変化し
ようと、歴史が常に問題の原点にそって立ち戻るように、「人の体験談」は、いうなれば不滅の鉱脈に類す
べきものだ。我々の内部に秀れた人物の鉱脈を掘り、不滅の富を賞揚し、これに模したいという若々しい精
神が消えてしまったら、この世の中は劣拙な味気のないものになるだろう。
何時の世でも、何処の国でも児孫が感奮昂気するものがあっていいではないか。
幸い、松本六郎氏には自叙伝がある。松本金物株式会社の社内報「まつかぜ」に寄稿されたものだ。
この序文の中で、氏はある結婚式の宴席で隣席におられた大阪鉄工所の社長と、談偶々少年時代の苦斗話
を交わされたところがある。
「大阪で夕刊売りをした」ことで、肝胆相照らし、「お互いに苦労しましたなあ」と、述懐されたとある。
又、「自分のわずかな体験談を読んでも面白くなかろうが、書き綴っておけば、他日次の世代の人達に何
かの参考になる。明日の糧にもなるかとも思い」と、遠慮して書いておられる。
さてその「私の苦斗時代」三万五千字ぐらいもある長文だ。この船場商人の鉱脈を深検しようではないか。
(本文は省略)