15.編集後記


松本六郎翁の長編随筆「私の苦闘時代」は昭和36年11月から昭和42年1月までの「社内報・まつかぜ」に寄稿されたものです。
「社内報・まつかぜ」は約5年間に16回発行されているが、その間13回の寄稿を頂いた。話の内容からして、次には、商売の事を書くとあったことから、おそらくは旧主・今西家の事を先ず書いて、それからと考えられたのかも知れない。
「この道一筋に」と旧弊・今西家の暖簾をくぐって以来50年近くに亘りご交際とお世話をされたことからみて、生涯大切にされたことが伺えます。
残念なことに、「社内報・まつかぜ」はこの号をもって休刊している。休刊の理由は不明ですが、当時は昭和40年代前半。戦後復興の象徴とされた東京オリンピックが終わり、日本の高度経済成長真っただ中。
当社も、新社屋(現在地)の建築用地買収が終わり、建築設計には社内懸賞募集を募り、新社屋建設委員会も発足し、建築業者を定めて着工という、夢にも見てきた自社ビルの建設が具体化された時でもありました。
さらには、金物団地計画や東大阪営業所設立や北海道に札幌営業所開設を以って、いよいよ北海道から九州までの国内布陣を確固たるものとして、当社の製品を国内の津々浦々まで行き亘らせ、社会に貢献できた時でもありました。
業務の多忙と「まつかぜ」休刊が相まって、続編は止む無く中断されたのかも知れない。
いまから、ちょうど80年前に、創業者の六郎翁は若干22歳でした。一体どのような決意と想いで事業をされてこられたのか。
 後の世の我々現代人にとっては、もっともっと教えて戴きたかったというのが実感です。だが、ここで敢えて留めておき、これから後は、後々のマツ六社員に考えさせようとした六郎翁の「思いやり」だったのかも知れません。
いずれにしても、先代の残された「創業の精神」は80年経った今もなお、我々マツ六社員に脈々と受け継がれている事は紛れもない事実です。
また、これからも、それを継承していかねばとの想いを新たにしております。(N)

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