1.上町台地の松本金物


      大阪の金物卸屋で月商十六億円というから相当なものだが、ここの創始者松本六郎氏に、実は興味がある。 簡潔に書けば、有徳な人だと思いますね。七十八才の老令だが、連休は退屈だという人で、自からは四階の 社長の部屋にいることを好まず、二階の正面中央に席をおき、業者と接触できる窓口で日々を送る事を楽し みとしている人だ。この間も土曜日に訪問したところ、社長は年中無休とのこと。 これに対して「ウチで婆さんと話していても仕方がない。庭いじりは日曜一日で十分、こうして会社に出て 来て、全国から集まって来る取引伝票をみております。あ、あそこは不況だというが伸びている、大将がし っかりしていらっしゃるからだ。ここは最近落ちているが、どういう訳か、と思って取引先の動きをみてい るのが何よりの健康法。出社し、ここに席しているのは、決して社員を監督しているのではない、私は自分 の仕事を楽しんでいるのですよ」こういう返事が返って来た。

 この人の表情? 八十才に近い人だ。左の眼は少しお悪いのではないか。一重瞼、瞳は何時も澄んでおり ますね。聡明な人だと思います。背を屈めて、事務机に凭掛っておられる。何時お会いしても「微笑」を忘 れない人だ。握手する。手の感触は冷たい。「血圧は低い方ですね」と話かける筋合いだ。淡々としてはい るが、時間さえあれば、話に打興じ易い人です。
「ウチの会社ではね、例えば女の子で嫁したとします。子供が産れたらその児を連れて、里帰りしたみたい に会社に来てくれます」ともおっしゃる。

「大阪の地形をご存知? 上町台地といいましてね、大阪城、四天王寺の基盤をなしている大阪の東側の丘 陵地帯を、古くから上町台地といっております。地盤が固いわけだ。 現在繁栄している大阪の町々は、い わば瀬戸内のどんづまりに出来た商港。大和川と淀川とが合流して出来たデルタ地帯ですね」

松本のお親爺さんはこうも云われた。「店を上町台地の何処かに、所望しておりましたところ、三井さん。 運のいいことに此処が手に入りました。屋上に上ると、四天王寺の境内が手にとるように見えます。夜は大 阪のネオンが美しく見えるし、昼間は生駒の山肌がクッキリ眺められる景勝の地点です。それに随分閑静で してね」と、うれしそうに笑われた。
 「松本さん、ここに参って何時も感心することは、顧客の出入りが繁忙な点です。建築金物は品種も雑多 だと思いますが、トラック、軽自動車でごった返えしている。景気はいいようですね?」 「朝十時ごろお出で下さい。仲々活況があります。大阪市中で┓に六というマークの車をご覧になったら、ウ チの車です。

 金物問屋をしておりますとね、今日のように景気の冴えないときは、メーカーさんでお困りの方もある。 そこそこの商品でしたら、ウチでお取引してあげることが出来ます。手形でなくて、チャンと現金払いをし てあげる事もできます。喜ばれますよ。外国のものでも、安くていい品物がございます。問屋稼業をしてお りますので、手広く商売をさしていただいております」 松本老の表情は、何時みても穏やかだ。

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