1.プロローグ

この物語は私の苦闘時代の序曲に過ぎない。これまで誰にも話したことのない、又話す必要も認めなかった私の過去の思い出である。私の生い立ちを知りたいという社員のみなさんの希望もあって、この機会に思いきって書いてみることにした。

 去る十月十日、粟井先生の御子息の結婚披露に招かれた折のことである。私の隣席におられた大阪鉄工所の社長さんといろいろと世間話しを交わしているうちに、談、偶々お互いの少年時代のことに及び、社長さんから「少年の頃、故郷 観音寺から大阪へ来て、夕刊売りをして苦労し、今日に至りました。」という思い出話を聞いた。図らずも同じ時期に私も夕刊売りをしたことがあり、そのことを話して肝胆相照らしたわけであるが、同席されていた松尾橋梁の社長さんも私どもの話しに加わって来られ、お互いに「苦労しましたなあ」と感慨深く往時を偲んだ次第である。おふたりとも粟井先生の同郷の方で、粟井先生をはじめ、負けず劣らず功なり名を遂げられた方々である。

 早川電気の社長さんが二才の時 他家へ貰われ、九才の時すでに盲目のおばあさんの世話で飾り職の所に奉公するという苦労の辛酸を嘗められたことを思へば、私の苦労などはとるにたらぬものかも知れぬ。こんな話しは読んで余り面白いものではあるまいが、私にすればこうして私の体験談を書き綴っておけば、或いは次の時代を背負う若い人々にとって、私の孫、いや曾孫にいたるまで些かなりとも明日に生きるための糧になるやも知れぬと、そんな願いをもってこの筆を執っているわけであるから暫く辛抱して読んでいただきたい。

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